2008年7月22日 (火)

自分の頭で考えることの大切さ

6月25日に土本典昭さんのお通夜があった。そこで、喪主・妻の基子さんが弔辞
を読んだ。そのなかでこう話した。

「土本は戦争中に、天皇の赤子(せきし)として育ちました。そういう教育をう
けたのです。終戦後、その間違いに気づき、自分で考えることの大切さを知りま
した。水俣やアフガニスタン、原発の映画を作るとときも、考えて、考え抜いて
作りました。考えることが快楽になっていました」

私は土本さんから映画の話を聞く機会は多かったが、戦前の「天皇教育」の話は
直接聞いたことがなかった。だから基子さんの話は新鮮だった。多くの昭和ヒト
ケタ世代がそうであるように、土本さんの原点も「180度価値観が転換した敗戦
ショック」だったのだ。きのうまで正しいとされたことが、何の説明もなく間
違ったこととされ、だれも責任をとることなく、軍国主義から民主主義に変身し
た日本。二度とだまされまいという決意が「自分の頭で考える」という土本さん
のその後の基本になったのだろう。同じ話は、国労闘争団・佐久間忠夫さん(昭
和ヒトケタ世代)もよくいう。「あの時大人は何をやっていたんだ。だから自分
が大人になったいま、自分の頭で考え自分で行動する」と。

敗戦から60年以上が経ち、民主主義を支えてきた護憲勢力と言われた「左翼・労
働組合」などが、相当程度に弱体化している。その原因はいくつもあるが、その
一つに「自分の頭で考え行動する」人間をベースした運動・組織になりきれな
かったことがあるように思う。上が決めれば(変われば)下は付いていくだけ、
組織のなかで個人の創意性は活かされず、ということはなかっただろうか。

ボロボロになった民主主義を取り戻す第一歩は、「自分の頭で考え行動する」自
立した人間をベースにした運動ではないか。土本典昭さんの生き方をみて、あら
ためてそう思った。(ラビ)

| | コメント (28) | トラックバック (0)

2008年4月 7日 (月)

TV番組「兵士たちが記録した南京大虐殺」をみて

4月6日の深夜、「日本テレビ」で放映したNNNドキュメント08「兵士たちが記録した南京大虐殺」(50分・ディレクター=中村明)という番組をみた。説得力があった。福島に住む小野賢二さんが、地元出身の元日本兵の「陣中日記」を丹念に掘り起こした記録だが、そこに刻まれた事実には重みがあった。小野さんは「当時書いたものと現代の証言とは違う。証言は本人の考え方が変わると変化するので限界がある」として、当時戦場で書かれた「陣中日記」に徹底的にこだわった。その日記を入手するために、元兵士を探しあて実に20年の時間をかけている。よくて1年に1冊入手するペースだったという。それも、小野さんは学者ではなく製造業で40年働いている労働者であり、その合間に調査を続けた。

小野さんがこだわったのは、福島・会津若松の「歩兵65連隊」という一つの部隊だった。発掘した「陣中日記」には、補給路をもたず「徴発」(略奪)しながら進軍する様子、そして南京を陥落したものの大量の捕虜に困り果て、虐殺に及ぶ経緯を見ることができる。日記には「捕虜兵約3千を射殺」「捕虜残部1万数千を銃殺」という生々しい文字が残っている。揚子江の川岸に1万人以上を囲いこんで、機関銃でダダダダと撃ち殺していくさまは「阿鼻叫喚」だったと、元兵士が94年撮影のビデオで語っている。揚子江の川岸が選ばれたのは、死体を河に流せるので処理が容易だったこと(それでも丸2日かかっている)、南京郊外なので外国に情報がもれにくいことなどがあったという。

元兵士はまたこう語っていた。「銃殺した死体にガソリンをかけて火をつけた。そして死骸を銃剣で突いて歩いて、トドメを刺した」と。「なぜガソリンをかけたのか?」という質問には、理由を述べることなく「命令だったから」というだけだった。「命令だったから」というこの言葉に「職務命令だから」「上からの指示だから」と、おかしいことにおかしいと言わなくなった今の日本を私は連想してしまった。

これまで南京大虐殺については、数万か10万か30万か、など数字の問題ばかりが話題になっているが、この番組をみると、少なくても会津若松の歩兵65連隊が行った虐殺の数字は明確だった。でも、数字よりもこうした侵略戦争の真実を知り、後世にきちんと伝えていくことが一番必要だろう。番組は、狩り出された下層農民の日本兵が家族を思いながら、精神的に追い詰められていく過程や心理も描いていて、奥が深い。深夜に流れたのは惜しいが、「靖国 YASUKUNI」の上映中止騒ぎのなかで、こうした優れた番組がマスコミに流れた意味は大きいと思う。(ラビ)

| | コメント (18) | トラックバック (1)

2008年2月18日 (月)

どうなっているのニッポン

Iwaizawa 2月15〜16日と1泊で北海道・岩見沢に行った。わずかな時間だったが、さまざまな体験をした。一番ショックだったのは、岩見沢駅前がシャッター通り(写真)になっていたこと。人口9万人で特急も止まるところなのに、メインストリートは壊滅状態だった。その一角にあった3階建てのビルに「グッドウィル」の文字がみえた。地域が破壊され、仕事がない人たちが「グッドウィル」を通じて、都会に出稼ぎに行く構図そのものだった。

交通ではアクシデントに見まわれた。新千歳空港に到着してJR快速に乗ろうとしたら、「人身事故」が発生したため止まっているとのこと。仕方なくバスに切り替えたが、2時間も遅れてしまった。新聞を読んだら、列車に飛び込み自殺したのは高校二年の男子生徒で17歳だった。地元の人に「東京でも人身事故(自殺)が多いが、こちらはどうなの」と聞いたら、やはり「多い」とのこと。日本全国「人身事故」だらけである。

そして16日の帰りの便。新千歳空港は、朝から大雪で滑走路も雪に覆われていた。午前10時発のJAL便に搭乗し、駐機場で1時間近く待たされたが、私が乗った便は、無事離陸した。機内のモニターTVで滑走路が写されていたが、ほとんど視界がない状態。「これでよく飛べるものだ」と一抹の不安を感じたところだった。ところが、東京に着いてから、ニュースを知って驚いた。私が乗った便と同じ時間に空港で駐機していたJAL機が、管制官の指示を取り違え、滑走路に他の飛行機がいたのに離陸を開始し、あわや衝突という事態が起きていたのだ。

機長は管制官からの「expect immediately take-off」(すぐ離陸できるように待機せよ)を「immediately take-off」(すぐに離陸せよ)と聞き間違えたらしい。聞き間違えた理由は、「早く飛ばなければ」とあせった機長の心理状況にあったのではないか。JR尼崎事故でも運転士が、処分を恐れ「遅れを取り戻せねば」というプレッシャーの中で無理にスピードを上げたわけだが、飛行機の機長にかけられている「定時運行のプレッシャー」も相当のものだろう。過密ダイヤを強いられ、余裕がないのである。私も東京に飛行機が着いてわかったのだが、東京で乗り換えて次の目的地に行く客がけっこう多い。そうすると、最初の便が遅れると乗り継ぎができない客がでてくることになる。機長がとにかく早く飛びたい、早く飛びたい、という一心だったに違いない。

もし「離陸ストップ」の管制官の指示が間に合わなかったら、ジャンボ機衝突による大惨事が発生し、私はパニックの現場にいたはずだ。考えただけでゾッとする。金儲け優先のゆとりのない効率経営は、危険と隣り合わせ。本当に危ない日本になったものだ。(ラビ)

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年2月 3日 (日)

がんもそんなに悪くない

080203_1808 「週刊金曜日」を愛読しているが、最近読んだ記事で一番よかったのが1月25日号の「がんもそんなに悪くない」(昇幹夫)である。一昨年、身近な人がそれまで元気だったのに、突然ガンを宣告され、半年の闘病の末、亡くなったのを目の当たりにした。それがきっかけでガンに関する本をいくつも読んだ。自分がなったらどう対処するのが一番いいのか。「抗ガン剤」はいいのか悪いのか。書物によって見解はちがい、よくわからないのが現状だ。そんななか、この「週刊金曜日」のたった1ページの記事は、ガンの発生原因から対処方法、考え方までわかりやすく書いてあり、ストンと落ちた。以下、出だしだけ紹介しよう。「今、医学が進んだといっても、三人に一人ががんで亡くなり、次に多いのが心筋梗塞と脳卒中です。心臓発作による突然死は言いたいことも言えないでハイ終わり、脳卒中は助かっても半身不随。それに比べ、がんになると、まわりが同情してくれるし95%は痛みもとれる、残された時間もそこそこあるということからすれば、そう悪くないと思いませんか」。核心部分は、購入して読んでね。(ラビ)

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2008年1月19日 (土)

マーフィの法則

「マーフィの法則」という言葉がある。トイレに入っていると電話がかかってくることが、よくある。ああ「マーフィの法則」だ、と一人納得している。むかし、この言葉が大流行したことがあったが、そもそも「マーフィの法則」ってどういう起源なのだろうかと思って、グーグルで検索してみた。フムフム、なるほど、なるほど。そしてあるページ http://www1.akira.ne.jp/~bickel/murphy.htm をみたら、その法則がずらりと書いてあった。「99%の確率で成功する場合、残りの1%の確率はやけに高い」から始まっていたが、面白い、面白い。そして「ワッハッハ」と涙を出るほど大声で、一人で笑ってしまった。たとえば、こんなフレーズだった。「店長候補募集で募集している仕事は店員である」「“在庫一掃”は、まだまだ売れ残っている」「CMの前に“まだまだ続くよ”と出たら、もうすぐ終わりである」。偽装社会を見破るのにとても役立つ「法則」だ。(ラビ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 9日 (水)

ジョン・レノンはすごかった

ニューヨーク発のネット番組「デモクラシー・ナウ!」が面白い。この日本版が昨年から開始されたが、最近みた「ジョン・レノンの動画」はよかった。わが青春時代は、あけてもくれても「ビートルズ」だった。ビートルズの歌詞で英語の勉強をした(辞書にない俗語ばかりだったが・・)。当時は、その曲がすばらしい、という程度の認識しかなかったが、この番組をみると、いろいろなことがわかった。エンターテイメントの方向性をめざすポール・マッカトニーとの対立が深刻だったことなど全く知らなかった。ジョンは、政治性が強く、自分たちの影響力をベトナム反戦運動に活かそうとした。ニクソン大統領がジョンを怖れ、FBIを使って国外追放しようとした話もある。私が感心したのは、ジョン・レノンが一般的に反戦平和を呼びかけていたのではなく、現実に起きている様々な事件に積極的に関わっていたことだ。たとえば71年のアッティカ刑務所の囚人蜂起に対する弾圧に激しく抗議したり、反戦運動家の釈放のために歌を作ったりした。そして、徹底した「非暴力主義」で、ベッドイン闘争を編み出した。とにかく、音楽が世界を変えることを実証したジョン・レノンはすごかった。(ラビ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 2日 (水)

身のまわりの「天皇制」

1月1日、姉のマンションに行った。つけっぱなしのテレビから現代風にアレンジされた「君が代」の歌が聞こえてきた。天皇杯全日本サッカーのテレビ中継だった。胸くそがわるくなった。「テレビ消して! 君が代なんて聞きたくない!」。私は声をあげ、姉の家のリモコンを必死に探して、歌の途中で消した。12月28日に観た南京大虐殺の演劇「地獄のDECEMBER」の記憶が鮮烈だったせいもある。が、それに加え、ことし3月、「君が代」を歌わないだけで解雇の危機にさらされている根津公子さんのことも頭によぎった。民主主義を装いながら、着実に「国家主義」に突きすすむいまの日本。それを無意識に支えつづける日本人。年賀状をみる。私に来る年賀状の9割以上が西暦表記だが、なかには「平成」表記の人もいる。仕事上の事情などがあって「平成」を選ぶ人もいるだろう。が、社会運動をやっている(やっていた)人で「平成」の人がいるとちょっと驚く。「天皇制」とは過去の戦争問題だけではない。人間にエライ人・特別の人をつくることは、結局差別を容認することにつながる。もちろん現体制にとっては、そのほうが都合がいいに違いない。「日の丸あげない」「君が代歌わない」「平成使わない」など、身の回りの「天皇制」をなくしていくことが、本当の「自由と民主主義」をつくっていくうえで、とても大事だと思う。(ラビ)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

お墓のことば

Re_reien 撮影の仕事で、できたばかりの千葉の霊園をたずねた。旧来のイメージを覆すようなバラに囲まれた公園のような霊園である。建立されたばかりの墓石をみると、文字が書いてある。最期の場所に残す言葉とはなんなのか、興味をそそられてメモをした。一番多かったのが「絆」「ありがとう」「和」「やすらかに」。ほかには、「仁」「来てくれてありがとう」「思いやり」「Rest in Peace」「Love」などがあった。ユニークだったのは「おお空に舞う」(写真)、そして「オッス!」というものもあった。個性があふれていて、なにか楽しくなってくる(不謹慎!)。自分だったらどんな言葉を記すだろうか。墓誌をみると、1歳でなくなった人もいて驚いた。そして50代もかなり多い。「この人は、私と同じ年の生まれだ、それなのにもう死んでいる!!」。お墓は、人生が確実に終わることを教えてくれる。だからすごく謙虚になる。一般社会では、競争・差別・戦争があたりまえだが、墓石に「競争」「優秀」「勝利」などという文字はひとつもない。「人間って本来は優しいんだ」、あたたかい気持ちにさせられた。(ラビ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月10日 (月)

プレミアム・ミックスサンド

Sa41001200 12月9日早朝、「のぞみ」で大阪に向かった。「ギリ男」と言われる位いつも「ギリギリ」で動く悪いクセがある。この日も、7時50分東京発の「のぞみ」に乗るのに、お隣の有楽町に着いたのが7時40分。一駅山手線電車に乗って、新幹線ホームに走りこんだのが発車2分前だった。品川駅をすぎるとすぐ「車内販売」が回ってきた。おなかがへった。何か買おう、とワゴンの弁当・サンドイッチを手にする。ついつい根津さんに習った「添加物表記」をチェックしてしまった(「ウィンナーの味くらべ」参照)。とにかく駅弁は、日持ちさせようとするので危ないのだ。やはりすごかった。写真をみてもらうとわかるが、サンドイッチの成分の半分は添加物だった。いったいなにが「プレミアム」だ。ラベルの上から調味料のところまでは「食品」、そしてその下にずらっと「くすり」「毒」が並んでいる。最悪の「発色剤」もある。これを見ただけで気持ち悪くなった。車内販売のお姉さんに「これ添加物ひどすぎるね。コーヒーだけでいい」と嫌みをいってサンドイッチを返した。結局、新大阪までコーヒーだけでガマンした。時間に余裕があれば、まともな朝食をとれたのに・・。ああ、これもギリギリのツケだった。(ラビ)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年11月21日 (水)

詩人・井之川巨さんの一文

社青同解放派(新左翼の一党派)の幹部で、1980年代に内ゲバで殺された「永井啓之追悼集」という本を偶然手にした。68年ベトナム反戦から始まる「政治の季節」を生きてきた私としては、内ゲバ問題は他人事ではなかった。それが今も「セクト主義」という形で、日本の社会運動に影を落としているから、なおさらだ。

その追悼集のなかで井之川巨さん(詩人・故人)が書いた「“敵を殺せ”考」というタイトルの文章が強烈だった。氏は、1950年代の共産党の軍事路線「地域人民闘争」に加わるが、外部への暴力ばかりでなく、内部の人間へのリンチ・拷問などの党内暴力を体験している。その後、55年「六全協」で共産党は軍事方針はまちがいだったと180度路線転換をするのだが、なんの反省も総括もなく行われたことにショックを受ける。かれにとって、1945年に学校の教師が「戦争礼賛から民主主義礼賛へ」180度転換した時に受けたショックと同じで、55年を「二度目の敗戦記念日」と書いている。氏の文章は続く。「その後、共産党の弱腰を批判して登場してきた新左翼セクトは、基本的に共産党となんら変わるものではなかった」と。

こんな一文もある。「革命党は団結を美徳とし、少しのひび割れもない一枚岩の党をめざす。したがって、人間が本来もっている多様な顔、多様な意見を嫌い、これを否定しようとする」「限りなく固い団結を求めることによって、限りなく異なった意見や個性的な感性を排除しようとする。これは実に耐えられないことだ。僕は文学や詩活動によって革命運動に参加したいと申し出たが、党会議で一笑に付され、即座に拒絶されるというめにあった」。

人間の解放のための運動や組織が、逆に人間を抑圧するものに転化してしまう実例には事欠かない。労働組合もけして例外ではないだろう。いったいそれは何故なのか、どうしたら防げるのか。井之川巨さんの一文は、とても刺激になった。(ラビ)


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«やっぱりマック!